やっぱり変だよ!!医療保険改革④

前回*の続きです。

*前回の記事はこちらです。
  • やっぱり変だよ!!医療保険改革③ 【石井暎禧氏論文・医療保険改革と「老人終末期医療」~事実に基づいた改革を~より③】

    では、早速本題です。

    【石井暎禧氏論文・医療保険改革と「老人終末期医療」~事実に基づいた改革を~より④】
    ・「老人終末期医療」という言葉の怪しさ―(脳死から安楽死へ、「死」の拡大政策)―
     そもそも「老人終末期医療」という概念自体を成立させる必要性はあるのだろうか。脳死の場合と比べてみよう、脳死では、延命治療を行なおうが停止しようが、心臓停止までの期間は数日である。そのため治療の停止が最大の問題ではなかった。臓器移植を巡る利害が本質的対立であった。臓器移植を受けなければ死ぬことが確実な人の生命と脳死患者の生命をどう考えるのか、医師も脳死患者の立場から発言する場合と受け手の患者の対場から考えるのでは、視点が逆であり、きわめて難しい立場に立たされた。それでも脳死の場合は、定義の上では脳の生物学的死という客観性を持ちえた。そこに歯止めが存在したといえる。ところが「老人終末期lという概念は、「死が近づきつつある」というあいまいな定義だけがあり、そのように定義した患者に対しては、医療を施すべきではないと主張される。治療停止の理由は経済的であるにもかかわらず、人間の尊厳の問題であるかのようにすり替えられながら。これまで「生活の質」と理解されたQOLは「生命の質」と翻訳されることにより、本人から見た治療への評価・選択の意味から、他者から見た質の評価を意味するものへと変質した。そのため他者の持つ障害者・病者への差別感が取り込まれ、他者が社会へと拡大し「尊厳なき生命」への軽蔑に重点が置かれるようになった。そして脳死の場合のように、二つの生命の間で揺れ動いた、選択の悩みもなく、あいまいな定義のまま、治療の停止という消極的安楽死が、「老人終末期患者」に検討されるべきであると主張されるにいたっている。助かる命を見捨てることを「ターミナルケア」と強弁し、「死の自己決定」が賞賛され、「自己決定」をしない老人は「死生観がない」と非難される(社会保険旬報2001.1.11座談会)。しかも「死に直接つながらず、死期も予測できない」患者をも「老人終末期」と呼ぶ(医療経済研究機構の終末期医療報告書)ことが通説化しつつある。この「老人終末期」の実態は、広井氏の段階では、あいまいにされていたが、今や「要介護者」「寝たきり老人」がそれに当たると「識者たち」は公然と主張する(前述座談会)。さらに要介護老人への医療は「医師の良心からして治療をやらざるを得ないでしょうから、そういう人たちが医療機関にいないようにしておく(西村周三)」ことを検討すべきとの意見も公然と提案されるに至っている。


    以上です。

    次回は、論文より「老人終末期問題とは、老人医療費問題である」をご案内します。

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